06.08.12 #鎌倉市大町 「 #大くに 」の ” #パイ饅頭 ” [?アレ食ったコレ食った/酒肴/恥飯]
06.08.12 鎌倉市大町「大くに」の ”パイ饅頭”
興奮!シラスの天ぷらを貰ってきた。 と、セコい小鯛と典型的関東人の見栄 の続き。
昨年死んだ伯父(父の兄)の新盆で会食に呼ばれ、
帰りに土産としてもらった。
私が ロクな皿を持っていないのでは? っと思われたくない
嫌らしい見栄 と 虚栄心 を炸裂させて、
今回も「魯山人」の皿に盛って撮影した。
ここまでヤレば 私の虚栄心が満足し、
次回以降は 同じ皿ばっかりや 欠けた皿で撮っても
恥ずかしくない。
これらの皿についてのいきさつは 他の記事で書いたし、
それを再度引用しようとしても もう探し出すことが出来ない。
何れの日にか、もう一度書き改めよう。
母が 北大路魯山人と その援助者・長尾よね の両方で
奉公していた関係上、書き残しておかねばならぬテーマが有る。
01) 鎌倉市大町「大くに」の ”パイ饅頭”
02) 菓子皿ではないが、この際どうでもヨイ。
虚栄心を満足させるために撮った。
03) 洗わずに、埃だらけのまま撮った。
04) 子供の頃、これらの皿で喰ったら
’弥生式土器’で喰ってるみたいだった。
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P.56とP.71に出ている女は、私の母だ。 ただ、それだけのこと。
管理人殿
小生は昭和20年7月に鎌倉市極楽寺の谷で生まれました。
5歳の頃、毎日山の上にある長尾家の別荘「扇湖山荘」を通り抜け、
鎌倉山のお金持ちが遊びで開いていた幼稚園に通い、
帰りはこの大庭園で遊び回っておりました。
本別荘の管理人さんの息子と小生は幼稚園の同級生で、
この縁もあり別荘内への立ち入りは自由でした。
しかし、不思議な事に、主である長尾欽也氏の記憶はあるのですが、
何故か、長尾家を取仕切った影の主、長尾米子(よね)さんの記憶は有りません。
長尾よねは昭和42年2月にこの別荘で生涯を閉じました。
小生が知る「扇湖山荘」は敷地13万坪の大別荘で、
麓の南側と北側の谷戸には池を配した庭園があり、
共に立派な茶室を備え、両方の庭はトンネルで結ばれていました。
これらは周囲の山々と共に昭和30年頃に売却され、
現在は昔日の面影はなく敷地は母屋を中心として2万坪程度となっているはずです。
主亡き後、本別荘は大手不動産会社の所有となりましたが、
幸いにも昨年鎌倉市に寄贈されました。
小生は幼年期に遊び回った扇湖山荘には強い思い入れがあり、
もし本山荘が一般に開放されることになりましたら、
是非その一角に、激動の昭和を破天荒に生きた女傑、
長尾よねを紹介するコーナーを作らせて頂きたいと考えており、
現在協力者と共にその資料を収集中です。
つきましては、長尾よねと魯山人にご縁のあった母君について、
ぜひ、お話を伺わせて頂ければ幸いです。
ところで、前述のごとく小生は友人と共に長尾家に関わる調査を進めておりますが、
出来ればこれらを纏めHP仮称「長尾資料館」を立ち上げたいと考えております。
本HPに先駆け友人が先般「長尾資料館別館」を立ち上げましたので、
ご案内をさせて頂きます。
こちらは長尾家に関わった人々よりの書簡研究が活動の中心です。
http://nagao-bekkan.image.coocan.jp/index.html
なお、小生のHP掲示板にても、
最近長尾夫妻とわかもとについて掲示を行いました。
by 事務局員 (2011-07-06 17:04)
’事務局員’ と名のられる御方様へ
ありがたきコメントをいただき感激至極でございます。
確かに全てを読ませていただきましたことを、
ここに報告いたします。
.
しかしながら
「ありがとうございました」 だけでは済まされぬほどの内容に対しまして
誠意ある返信を書かせていただきたく、
先ずは 確かに全てを読ませていただきましたことのみの報告として
後日改めて このページへ返信させていただけますよう
容赦をお願いいたします。
.
>つきましては、長尾よねと魯山人にご縁のあった母君について、
>ぜひ、お話を伺わせて頂ければ幸いです。
名も無き単なる奉公人に過ぎぬ母ではありますが、
魯山人への奉公から、
魯山人の援助者 長尾よね に引き取られて
昭和17年~結婚の為25歳位?の昭和22年まで長尾家での奉公でした。
母は、平成11年12月29日に他界し、今年平成23年が十三回忌です。
そういう事情で、
長尾夫妻に関するエピソード/資料で提供可能なものは
残念ながら残っていないことを先に申し上げておかねばなりません。
生前に白崎秀雄氏から、
北大路路山人と長尾夫妻についての取材を受けたことは事実です。
再度申しますが名も無き単なる奉公人に過ぎないし
歳からして女中頭などとはあろうはずがないのですが、
北大路路山人にも 長尾よね の傍付きの職務であったことから
当時の同僚から母を紹介されたでのあろう白崎氏から取材を受けたようです。
「当世畸人伝」文中の里見弴と出合ったシーンには、小さい頃の私も一緒でした。
鎌倉小町通り、現在の「東洋肉店」周辺だったことを記憶しています。
文中の ’おはっちゃん’ とは
旧姓 二宮芳子ですが、
現代の個人情報保護相当する親心なのでしょうか使用人には通称が与えられて
「はつ」 と呼ばれていたそうです。
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先ずは御礼のみを速報として書き始めたのですが、
私のブログ内容に偽り無きことを示そうとの思いで長くなってしまいました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
by mitch (2011-07-07 19:22)