20.06.25 #史跡 、#鎌倉尼五山 第一位、 ” #太平寺跡 ” #石碑 _ #鎌倉市西御門 / #青岳尼 #鎌倉 #鎌倉殿の13人 [?神社仏閣]
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” 周辺住民による丹精の賜物、道路沿いの紫陽花2020 ” からの続き
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訪問なされる方におかれましては 折角ここまで来られても石碑だけなのですけれども、
ほぼ同一場所と言えるくらいの直近に
西御門「来迎寺」参道階段登り口 と 西御門「八雲神社」鳥居が在り 同日中に参拝ができます。
< クリックしてからリンク先で拡大できます > _ 鎌倉市西御門(にしみかど)1丁目10−10
関東の比丘尼トップの 青岳尼(しょうがくに)が還俗して
安房の里見義弘の正室となり住職を失い、廃れたからというよりも
廃寺にせざるを得なかった数奇な運命の経緯がある。
(後年に「高松寺」として再興したが、関東大震災倒壊後に廃寺。
山門は、鎌倉山料亭「檑亭(らい亭)」の門として移設された。)
仏殿を円覚寺塔頭「正続院」へ移築したとされる。
これが現在、円覚寺の国宝「舎利殿」。
< このページの駄文と重複するが、20.02.15のページからコピー&ペースト >
写真左方の坂を十数m登った先が金網に囲まれ施錠されたテニスコートで、
周辺一帯に 嘗ての 尼五山第一位「太平寺」の伽藍が建っていたとされる。
(因みに 石碑背後の階段は、「満光山 来迎寺」参道階段。
撮影立ち位置背後は、西御門「八雲神社」。)
無知な私が解説めいたことを書くよりも
他の多くの方が労作をWebサイトで公開してくださっているので、
そちらを参照願いたし。
概略; ・1282年頃開山。
諸説あるうちで、源頼朝が池禅尼の昔 の助命恩義に報いるため
その姪のために建てさせたと云われている。
→ 1556年頃 数奇な運命を経て廃寺。
数奇な運命経て鎌倉に戻った本尊聖観音菩薩像は東慶寺に移された。
→ 江戸時代1643年頃 跡地に ’ 日蓮宗 高松寺(こうしょうじ / 尼寺) ’ として開山→
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cf. 太平寺跡の碑文と説明 http://www.kcn-net.org/sisekihi/taihei.htm
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01-1) ” 太平寺跡 ” 石碑(上/3)
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01-2) ” 太平寺跡 ” 石碑(中/3) < 拡大 → クリック >
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01-3) ” 太平寺跡 ” 石碑(下/3) < 拡大 → クリック >
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02-1) 鎌倉尼五山第一位 太平寺大伽藍跡の一部とされる、
現 ’ 西御門テニスコート ’(左/3)
立ち位置前全面を阻む大門扉の柵状空間から撮った。
テニスコートを囲む三方の山が、数階の雛壇状になっている ’ そうだ ’。
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02-2) 太平寺大伽藍跡の一部とされる、現 ’ 西御門テニスコート ’(中/3)
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02-3) 太平寺大伽藍跡の一部とされる、現 ’ 西御門テニスコート ’(右/3)
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cf. アルバム
2x ’ nice! ’ を、ありがとうございます。
by mitch (2020-06-29 04:13)