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20.11.09D #葉山 「 #清浄寺」_ #三浦郡葉山町堀内 / #浄土宗鎮西派龍圓山見彼院清浄寺 #龍圓山見彼院清浄寺 #三浦半島四十八阿弥陀霊場四番札所 #新三十三番観音札所ニ番札所 [?神社仏閣]

20.11.09D  葉山「清浄寺」  _ 三浦郡葉山町堀内

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C ” 神社< 社号不詳 >”_ 三浦郡葉山町堀内 からの続き


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高校一年生で亡くなったクラスメイトが眠る寺院を参拝


01) 浄土宗鎮西派「龍圓山見彼院清浄寺(しょうじょうじ)


                        _ 三浦郡葉山町堀内284


三浦半島四十八阿弥陀霊場四番札所 / 新三十三番観音札所のニ番札所


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02) 手水舎 


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03-1) 本堂 


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03-2) 向拝先端の右上方 


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04-1) 向かって左上の木鼻彫刻 


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04-2) 向拝上方の彫刻。   四名の人物が彫られている。 


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04-3) 向かって右上の木鼻彫刻 


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05) 六地蔵 と 一尊 


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06) 供養碑。


銘 _ 台座:龍圓山、


碑の中央:南無阿弥陀佛 顕孝、


右:當山開山上人中興上人代々上人、


左:檀方先祖代々有縁無縁之零位 


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07) 舟形光背石仏群


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08) 門外右方で道路沿いの駐車場。 3台分ほど。 


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09-1) 本堂裏の庭園


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09-2) 本堂裏の庭園


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E ” 稲荷社 ”_ 葉山町堀内 へ続く / A  ” 田越神明社 ”_ 逗子市桜山 へ戻る


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文化財 : 阿弥陀三尊立像 : 葉山町指定文化財第29号 有形文化財 彫刻
年代 _ 中尊:室町時代前期 / 脇侍:江戸時代
・阿弥陀如来 総高179.9 像高99.0 台座高56.4 光背高123.5
・観音菩薩   総高121.0 像高61.5 台座高58.1
・勢至菩薩   総高121.5 像高61.5 台座高58.3(法量単位cm)
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< NPO法人 葉山まちづくり協会 さまWebサイト
     https://hayama-npo.jimdofree.com
  の ” 葉山の文化財 堀内清浄寺 阿弥陀三尊立像 ” ページから
  解説を引用  http://www.hayama-npo.or.jp/hcsm/bunkazai/42.htm >
(引用始まり)
観音菩薩
*中尊阿弥陀如来立像および観音勢至両菩薩立像の三尊ともに
檜財の寄木造り、玉眼嵌入、全身に漆箔をほどこす。


 阿弥陀如来像は、
頭割蓮華座の上に左足を少し前方へ出して立ち、挙身光背を背負い、
通肩に納衣[のうえ]を着し、右臂[うひ]を屈して左臂[さひ]を垂下し、
両手とも第1指と第2指とを捻じる、いわゆる来迎印を結ぶ。


 両脇侍像は、
いずれも輪光背を負い、観音菩薩像は両掌に蓮台を捧げ、
勢至菩薩像は胸前で合掌し、
両像とも蓮華座上で両膝を屈し、やや前かがみの姿形をとる。


 このような像容をみせる阿弥陀三尊は、念仏者の臨終に際して、
極楽浄土に往生せしめるべく来迎する形像として、
浄土教の降盛とともに鎌倉時代を頂点に多く造立されてきたものである。
 阿弥陀如来像は、首柄[くびえ]差し込み、両手も差し込み、
全身に当初の漆箔の上に近世の質の悪い金箔を置くが、
これが浮きあがり、ひびを生じて一部剥落している。
螺髪[らはつ]は彫出、
肉髻珠[にくけいしゅ]、白毫[びゃくごう]ともに水晶に入れる。
地髪は盛りあがり、髪際でカープを描き、両部は幅広く、
顎は小さめで力強さを備えるが、後補があり尊容を損じている。
体躯は量感があり、
腹膝部および袖部の賑やかな衣文ひだの彫出も破綻なく巧みである。
背面も丁寧に表出する。
全体に後補の漆箔などで彫刻性を損じているが、
入念で本格的な作風を示している。


 両脇侍菩薩像も漆箔は後補で、
宝髻[ほうけい]は高く宋風様の複雑な裳のひだを刻出するが、
身のこなしは固く、彫技は生硬で、形式化が著しい。


なお、観音菩薩像の台座内面に次の墨書銘がある。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏  清浄寺
 阿弥陀三尊像の造立や由来に関する資料は、
伝蔵されず全く寄るべきものがない。
ただ、「新編相模国風土記」清浄寺の項に、
「長三尺安阿弥[あんなみ]作」と記されているのが
中尊阿弥陀如来像に当たるものと推定されるのみである。
それは法量とともに、その表文表現が「安阿弥様」、
すなわち仏師快慶の様式に類似しているからである。


 


 快慶は鎌倉時代初期の仏師で、運慶とは兄弟弟子といわれ、
穏やかで流麗な安阿弥様といわれる独特な作風を創めて
鎌倉彫刻界に重きをなした人物で、
「安阿弥」とは浄土教の熱心な信者であった快慶の法号が、
「安阿弥蛇仏」といったところからきている。
 この清浄寺阿弥陀如来像の「安阿弥様」衣文刻出は、
岡山県東寿院の木造阿弥陀如来立像を初めとする快慶の活躍時代としては
後期に当たる法眼時代の作品に、その範を求めることができる。
しかし当像は、「安阿弥様」といわれる静かな優しい状態、
流麗な衣文など藤原様に近いといわれる
快慶独特の特徴や作風は見ることができず、
どちらかといえば、男性的な面相、体躯の量感と強さなど、
その造型は運慶様の伝統を受けついだ作品であるといえよう。
これらのことから、この阿弥陀如来像が、快慶の真作ではなく、
衣文表現のみを快慶様に倣古した模刻的作品といえるであろう。
 この「安阿弥様」といわれる仏像様式、特に阿弥陀如来の像容は、
一般的に親しみやすく、
定朝様[じょうちょうよう]とともに鎌倉時代以降、
浄土教の発展にともなって
長く近世にいたるまでその様風は受けつがれてきたが、
次第に類似化し、形骸化していったことはいなめない事実である。
 この阿弥陀如来像も、その過程において造立された一例と考えられ、
その造型は鎌倉地方における
地方化された運慶様と、宋風との伝統的彫法のなかに、
「安阿弥様」を求め表出した信仰的所産の像として、興味深いものがある。
 造立の時期については、
その地方的な技法や純重の趣や衣文の形式化などから、
室町時代前期と推定される。
頭面部には江戸時代の後補がみられ、尊貌[そんほう]を損じているのは惜しい。
両脇侍菩薩像は、
阿弥陀如来とは造型を異にし、江戸時代に道立され補なわれたものである。
 阿弥陀三尊像のうち、中尊阿弥陀如来像は後補による尊容の損じはあるが、
室町前期の作品としては本格的な仏師の入念な作品で、
前期の余風を受けついだ佳作であるといえよう。
「安阿弥様」の阿弥陀如来像が、
浄土関係の宗派を中心に信仰の対象として数多く造立されたということは、
信仰史の面からも興味深い問題であり、
それはまた快慶自身の偉大な芸術を慕う気持ちの強いあらわれと考えられ、
清浄寺像もこのような信徒たちにより造立され伝蔵されて来たものといえる。
(引用終り)


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