20.11.26E #鎌倉 「 #隠里稲荷神社 ( #智岸寺稲荷 )」 / ’ #阿仏尼墓所 ’ _ #鎌倉市扇ガ谷 [?神社仏閣]
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D ” 荏天店神社 ”
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01-1) 「隠里稲荷神社(智岸寺稲荷)」 _ 鎌倉市扇ガ谷
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01-2) 「隠里稲荷神社(智岸寺稲荷)」
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01-3) 「隠里稲荷神社(智岸寺稲荷)」 ( 拡大 )
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01-4) 英勝寺作成の解説ボード ( 拡大 )
< 境内の「英勝寺」作成解説ボードから引用 >
稲荷神社について
世にお稲荷様と申上げている稲荷神社は
倉稲魂神をお祭りしたもので今から約1300年の昔、
和銅4年の2月の初午の日に
京都の伏見に稲荷神社が鎮座したのが始まりです。
この神は稲がなるイナリの別名が示すように五穀の生育や
すべての産業を育成する広大な御神徳のある神ですから、
あるゆる人々の信仰をうけ全国各地の神社や邸内に祭られています。
鎌倉で由緒ある稲荷は隠里稲荷で、
鎌倉風土記によると源頼朝が伊豆の蛭が島にいたとき病の床につき
三晩続けて同じ白ひげの老人の夢を見ました。
その老人の言うとおりに薬を飲みますと病はなおり
これが縁で幕府を開くことが出来たということです。
この白ひげ老人が隠里稲荷の化身であったということです。
お稲荷様は大切にお祭りしましょう。(英勝寺)
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01-5) 隣の 伝 ’ 阿仏尼墓所 ’ と一緒の遠景
今小路を進み「寿福寺」と「英勝寺」を少し通り過ぎた、
緩い上り坂の崖側に鎮座しています。
「英勝寺」作成の解説ボードの文面では「隠里稲荷」とされていますが、
” 智岸寺稲荷 ” とも呼ばれています。
市内で 例えば鎌倉市扇ガ谷でも地域を特定しやすい谷戸(やと)名で呼ぶと、
当地域は ’ 智岸寺谷(ちがんじがやつ) ’ として名残を留めています。
’ 智岸寺 ’ は廃寺ですが跡周辺には太田道灌が邸を構え、
更に太田道灌邸の跡が現存する唯一の尼寺 ’ 英勝寺 ’ です。
隣は、伝・阿仏尼の墓所(供養塔)です。
’ 十六夜日記 ’ 作者であり歌人ですが、冷泉家初代の冷泉為相の母です。
徒歩圏内の ’ 泉ヶ谷 ’ に「浄光明寺」がありますが、
( 有料区域の )山中高台に ’ 冷泉為相墓所(供養塔) ’ が在り
両墓所が近い距離で向かい合う位置です。
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02) 伝 ’ 阿仏尼墓所 ’
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