23.04.19A #鎌倉 「 #別願寺 」 私が望んでいた ’ #藤 の寺 ’ が復活の兆し _ #鎌倉市大町 / #2023藤 #フジ #鎌倉三十三観音霊場 #足利家 [?神社仏閣]
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本堂を含めた写真は過去ページと ほぼ重複するが、今回の参拝は新設された藤棚を観るため。
金剛組による立て直し本堂落成から日が経ったが、
フジ(藤)の大木は数年前に伐採され、
今回工事のためで仕方なくとは思うが 境内の樹木・植栽も伐採されたのが寂しい。
嘗ては 本堂の入り口 ’ 以外 ’ を境内の高木群の枝が視界を遮り、
本堂は れっきとした仏閣建築なのに
視野の範囲での遠景は入り口のアルミサッシ戸が 寺院を称する民家の玄関のようだった。
高木群伐採と引き換えになったのは悲しいが、
建て直された 清々ピカピカの本堂と再整備された境内が自分のことのように嬉しい。
01-1)鎌倉「時宗 稲荷山 超世院 別願寺」」(とうかさん ちょうせいいん べつがんじ)
鎌倉三十三観音霊場第13番(魚籃観世音)
藤沢 時宗総本山清浄光明寺(遊行寺)の末寺であり、
鎌倉での時宗の中心として栄えた寺であった由緒ある寺院。_ 鎌倉市大町
拝礼 合掌。
入院中の友人が早期に退院できますよう祈念いたしました。
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01-2) 両側の花壇が整備されつつあり、
向かって右方側ではナニワイバラ(難波茨)が満開だった。
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01-3) 破風周辺
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01-4) 前面の軒周辺
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01-5) 向かって左側面のスロープ周辺。 立ち位置後方が駐車場。
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02-1) 新規設備された藤棚を本堂方向
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02-2) フジの花近景
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02-3) 藤棚を幹線道路方向
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03) 鎌倉市指定有形文化財 石造 宝塔 (鎌倉時代後期、安山岩、高さ 310cm)。
伝、足利持氏(もちうじ)の供養塔といわれている。
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04) 石塔群
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05) 境内入り口右方の ” 一夜菜稻荷(いちやないなり) ” 参拝
今回は撮らなかった解説ボードの文字起こしを、22.06.18のページから転載。
文字起こし _
< 一夜菜稻荷略緣起 いちやないなり のいわれ _ 別願寺
古來裕荷明神は、
永く時宗別願寺境内に鎮座ましまして今日に至れり。
故に山號を稲荷山と呼ぶ。
當寺と裕荷明神との由縁浅からざるもの有るを思はしむるなり。
ロ碑に曰く、往昔當所一帶に悪疫流行し、
停止する所をらず、庶民齋しく憂ひ悲しめり。
時に名越在にかねて當裕荷を信仰せる某の夢中
枕頭に白髪の翁立ちて、
「我は汝の日頃信ぜる佐竹裕荷の化身なり。
此堪へざる度の悪疫の流行、庶民の難澁まことに不惑のいた所なり。
されば、我が祠前に菜種を蒔き、
其れを摘みて服用すべし。必ず効験あらん。」
と、告げて煙の如く姿を消し給ひき。
某、喜びて翁の宣べ給ふま、に祠前に赴き、
菜種を蒔くに、一夜にして菜五寸余を得たり。
之を用ふれば、
罹病の者立ち處に癒して、悪疫夙に止み、効験あらたかなりき。
之を聞き傳へ、遠近競ひて参詣して此の菜を頂けりと、
之れ當裕荷が一夜菜裕荷の稱を得たる所以なり。
叉何時の頃よりか子女の養育に當裕荷明神の加護功驗大なりとて
子育稲荷の尊稱を得、當地一帶の信仰を得られるに至りて今日に及べり。
鎌倉町大町 時宗 稲荷山別願寺 >
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06) 本堂裏にメイン駐車場が新設された。
檀家さま用と思うが、法事などでは10台強が駐車できる広さ。
今の時勢で墓地(&販売)になさらなかったのが少し不思議とともに ホッっとする。
藤棚前に、短時間用らしき3台分のスペースあり。
B ” 九品寺 ” へ続く
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