” 2015春の施設公開 扇湖山荘(庭園) ” という告知記事 [ ∟鎌倉市]
( たまたま この過去記事を見つけた際に、
更に思い出したことを加筆するため一時的にブログ上位日付場所に保管。後日に保管場所を移動予定。)
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” 2015春の施設公開 扇湖山荘(庭園) ” という告知記事 (15.04.03リンクターゲット誤り訂正)
2015年4月3日 13時~15時 / 2015年4月4日 10時~12時 と 13時~15時
( c.f. 検索結果メモ : 扇湖(せんこ)山荘 _ 鎌倉山 )
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私の亡き母にとっては深い関わりある別荘で、結婚するまで桜新町在の扇湖山荘創建者宅で奉公をしていた。
或る 書道家/篆刻家/陶芸作家/料理家の鎌倉市山崎在の邸宅で最初の奉公時に、
その作家へのパトロン(出資者)であり製薬会社創立者夫人(女傑!)である方に引き取られた経緯がある。
他の方たちと同じ仕事をするには若すぎた・・・というよりも幼すぎた母は
在宅時など身の回り小間使いとか 御主人さま外出時随伴小間使いとかで
京都別荘・銀座・この鎌倉山別荘など外出先の 後に有名になる 飲食店/料亭へ ’ 同席させられて ’、
終戦後に退職してからのことを思えば他の使用人よりも旨いものを食えたらしい。
決して 決して自慢話ではなく むしろ その反対、家族のために遊郭へ身を売らざるを得ない同級生も居た
という時代に於いて ド田舎の者が 桜新町の6000坪か?の超々豪邸に仕えることが何故できたのか?を
’ 奇跡的! ’ との思いで他人事であるかの如き記録みたいなモノとして書き留めた。
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薄らいだ記憶で洞門を潜ったのを覚えているが、
その洞門の先が前者の鎌倉・山崎の工房宅か?後者の鎌倉山別荘だったか?が不明。
私が幼い頃に訪れたことがあるかもしれなくて?いつの日にか訪問したい場所、扇湖山荘。
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思いつくままに追記:
’ 前者の工房宅 ’ へは、少なくとも二度訪れたことがある。
・ 自分でもこんな幼い時のことを記憶していることが不思議なくらいなのだけれども、
何らかの回忌法要か?に 母に連れられて出席した。
待機部屋の座敷に居られた若い和装女性方々に持参のお茶菓子を差し上げたら 「ありがとう」 と
語尾の ’ とう ’ にアクセントがある言いまわしだった。
京都の舞妓さんか芸姑さんだったのかもしれない。 生まれて初めて京ことばを聴いた瞬間だった。
・ 小学生なって直ぐの頃だったのだろうか? 五人家族(+親戚もか?)で見学みたいな訪問をした。
写真集に載っている浴槽/風呂場を覚えている。
姉が何らかの体調不良になり、故人が使用していたペッドで少し休憩したことと その寝台を覚えている。
・ 元使用人職人(兼、管理人)さん? の、掘り炬燵のような ’ 蹴りロクロ ’ での陶芸作業実演を見た。
まだまだ有るが、若年性痴呆が発症する前に またいつの日にか思いつきの続きを書こう・・・ ・・・かナ
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