06.04.27 再建途中の #鎌倉 「海潮山 #妙長寺 」が ほぼ完成した。 / #鎌倉市材木座 #日蓮宗海潮山妙長寺 #海潮山妙長寺 [?神社仏閣]
06.04.27 再建途中の 鎌倉「海潮山 妙長寺 」が ほぼ完成した。
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” 06.04.24 鎌倉「妙長寺」再建途中 ” からの続き
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今日、勧募志納金を持参した時に撮った。 勧募は強制ではない。
勧募主旨書によると、
開山以来705年の歴史を重ねて今日に至るそうだ。
前の本堂は 大正11年に建立され 翌12年の関東大震災にて崩壊、
その崩壊した部材で建て直したらしい。
大正11年は父の 12年は母の生まれた年だから、
84年前後経った建物だったわけだ。
そして今回、その建物を 新たに建て直しをしたそうだ。
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平成13年8月の台風での被害で部分修理不能に陥り、
今回の新築再建に至った。
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新築の寺を目の当たりにする事ができるのは、
貴重な体験だと思っている。
大修理された寺や再建された寺は多いが、
素人の私が観ることが出来る範囲に於いて
ほぼ木造で新築されたのは嬉しくもあり誇らしい気もする。
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補強技術上なのであろうか、
大修理された寺の場合 縁側から外はコンクリートが多い。
現 鎌倉「長谷寺」の場合、素人の私見ではコンクリート製建造物。
本尊を覆う建物であり、国宝 国内最大級木造観音の保存のためには
空調の都合上などの諸事情で、当然のことだと思う。
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建築については門外漢であるけれども、
私は機械設計屋の末席に居た者だが
寺院建築の構造にはとても興味がある。
これからも 機会をみて各部の写真を撮るつもりではいるが、
先ず手始めに外観を撮ったけれども 門外漢の私では
建築家が観たいと思うであろう箇所がわからない。
後に寺院建築の解説に出会った時に
私のヘボ写真でも再確認できるかもしれない、
無知な私レベルには貴重な写真になりそう。
雨戸も縁側も木造だから、今日以降から風雨に晒され
朽ちては修理される歴史を刻むのだろう。
半年後には、木の香も無くなり表面は変色しているかもしれない。
数年後には、
銅葺きの屋根は緑青がついて緑色になっているであろう。
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27-01) 道路からの入口
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27-02) 山門
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27-03) 山門の天井
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27-04) 境内から山門を観る
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27-05) 境内の塔
移設され、台座は大幅に縮小された。
鎌倉中で とりわけ寺院密集地域ながらも
材木座と大町 大半の寺と同様、
庭園が在るわけでもなく 観光客様の来訪とは無縁。
歴史勉強グループのような、玄人団体の来訪は度々見かける。
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27-06) 本堂正面
左右の雨戸には ” 戸袋 ”が有るが、中央のには ” 戸袋 ” が無い。
大きな行事の時は、中央の雨戸を外すのか? 構造を誤認か?
伝統的な仕立てに準じたのだろうけど、
これを ” 木質調アルミサッシ ” にしたら簡単に外せないもんナァ
扁額左右の雨戸が無い上部のガラスは、台風の時は平気なの?
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27-07) 扁額
軒裏に楕円形の穴を発見! ” 呼吸穴 ” のようだ。
以前の瓦葺きから銅板葺きになった。
瓦葺きならば、瓦の重ね合わせ部の ” ラビリンス ” で呼吸できるが
銅板葺きになって密閉されるので、
これが必要になったと推測する。結露時の水抜きも兼ねるのかな。
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27-08) 寺額
「第四十三世 日誠」 歴代住職の筆か?
そうだとしたら、左から右へ書かれているけど どの時代?
自分ところの寺だから 自分で調べるべきだが、
他人様からの調査結果報告は拒みません。お待ちいたします。
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27-09) 本堂の階段
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27-10) 本堂の戸
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27-11) 破風の裏
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27-12) 本堂背面。 本尊収納部(本尊壇)。
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27-13) 軒の裏側と、雨戸を閉じた様子。
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27-14) 正面の濡れ縁。 右側面から観る。
経年変化で、板が反るものなのか 反らないかに興味有り。
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27-15) 右側面の濡れ縁。 背面側から観る。
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27-16) 右側面の雨戸。 背面側から観る。
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” 06.05.12 鎌倉 「日蓮宗 海潮山 妙長寺」 本堂 ・ 山門 落慶法要 ” へ続く
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