22.06.18i #鎌倉 「 #別願寺 」参拝、祝!建て直された本堂 _ #鎌倉市大町 [?神社仏閣]
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H ” 蛇苦止明神 ” からの続き
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01) ’ 祇園山 ’ を背景に 9:01am頃~ _ 鎌倉市大町
< cf. ” 10.09.04「知られざる東海道古道~祇園山 ウォーキング」 ” >
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02)鎌倉「時宗 稲荷山 超世院 別願寺」(とうかさん ちょうせいいん べつがんじ)
鎌倉三十三観音霊場第13番(魚籃観世音)
藤沢 時宗総本山清浄光明寺(遊行寺)の末寺であり、
鎌倉での時宗の中心として栄えた寺であった由緒ある寺院。
工事の覆いが撤去されて日が経ったが、
金剛組による工事中から三回目の参拝で遠景を撮ることができた。
フジ(藤)の大木は数年前に伐採され、
今回工事のためで仕方なくとは思うが 境内の樹木・植栽も伐採されたのが寂しい。
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03-1) 向かって左斜め前方から。
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03-2) 軒裏を見上げる
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03-3) 入母屋破風と軒唐破風
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03-4) 唐破風の前面をズームアップ
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03-5) 扁額
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04) 正中を憚り外して、建て替えられた本堂前面の全景。
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05) 宝塔の文字起こし
” 南無阿彌陀佛奉修落慶法要本尊阿彌陀如来還座供養之宝塔 ”
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06) 向かって、右斜め前から。
先代の本堂と同様に、少し空いた戸から入ると
玄関?のような空間で御本尊さまを遥拝できる構造。
もちろん堂内は撮らなかったが、
扁額と巡礼霊場の額を撮らせていただいた。
ご住職が読経中だったが、
失敗!したのは 賽銭箱が金属製だったのでチャリ~ンと音を立ててしまった・・・
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07) 堂内正面上方の扁額
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08) 右壁上方、巡礼霊場の額
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09) 例えば足利基氏・氏満・満兼の 鎌倉公方代々の菩提寺で、
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10-1) 道路&歩道沿い、
境内入り口右方の ” 一夜菜稻荷(いちやないなり) ” 参拝
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10-2) 新規に建てられた ’ 一夜菜稻荷 略緣起 ’ の高札。
当寺院のデジタル写真が残っている2008年からの範囲で、
やっとの事で神社名が判明した。
文字起こし _
< 一夜菜稻荷略緣起 いちやないなり のいわれ _ 別願寺
古來裕荷明神は、
永く時宗別願寺境内に鎮座ましまして今日に至れり。
故に山號を稲荷山と呼ぶ。
當寺と裕荷明神との由縁浅からざるもの有るを思はしむるなり。
ロ碑に曰く、往昔當所一帶に悪疫流行し、
停止する所をらず、庶民齋しく憂ひ悲しめり。
時に名越在にかねて當裕荷を信仰せる某の夢中
枕頭に白髪の翁立ちて、
「我は汝の日頃信ぜる佐竹裕荷の化身なり。
此堪へざる度の悪疫の流行、庶民の難澁まことに不惑のいた所なり。
されば、我が祠前に菜種を蒔き、
其れを摘みて服用すべし。必ず効験あらん。」
と、告げて煙の如く姿を消し給ひき。
某、喜びて翁の宣べ給ふま、に祠前に赴き、
菜種を蒔くに、一夜にして菜五寸余を得たり。
之を用ふれば、
罹病の者立ち處に癒して、悪疫夙に止み、効験あらたかなりき。
之を聞き傳へ、遠近競ひて参詣して此の菜を頂けりと、
之れ當裕荷が一夜菜裕荷の稱を得たる所以なり。
叉何時の頃よりか子女の養育に當裕荷明神の加護功驗大なりとて
子育稲荷の尊稱を得、當地一帶の信仰を得られるに至りて今日に及べり。
鎌倉町大町 時宗 稲荷山別願寺 >
cf. アルバム
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